誰にコントロールされるか・・・(「日々のことば」より)
ルカ6:37
「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません・・赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」
ある著者が
「赦さないなら、あなたはまだその人から何かを求めているのであって、
あなたはその人に永久に縛られてしまう」
と言ったが、赦す事を拒むことは、相手に求め続けることになり、
一生涯、その相手に自分の人生がコントロールされる事になる。
相手を憎むなら、憎悪の奴隷となり、結局、相手に支配され続けることになる。
苦しいのは相手でなく、ただただ自分だ。相手は苦しくも何ともない。
一人相撲であり、暗闇の中だ。
「赦しなさい」は相手のためでなく、自分のためだ。
自分を縄目から解くことになる。
赦さない心は、相手でなく、自分を縄目の中にがんじがらめにする。
ある人が、もう、他人にコントロールされる一生を生きたくないと決心した。
赦しを意志で選択した。
主の前に静まり、今、憎んでいる人、赦せない人、又、今までに嫌な思いをさせられた人、傷つけられた人々・・
具体的に一人一人「赦します」と祈って行った。
その時「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」を、身をもって体験した。
人を赦そうとする事によって、自分自身が、神から完全に赦されていること、受け入れられていること、深く愛されていることを知った。
大きな平安に包まれた。
人を赦すから、自分が赦されている事を知る一瞬であった。
人を赦さないなら、自分が赦されていることが、どうしてわかるだろう。
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人を憎んでいる間中、私達は囚われている。
そこから解放されるために、赦せるよう意志を向け祈っていこう。
そして自分がどれほど赦されている者かを感謝してみよう。
みことばの配信元:広島聖書バプテスト教会
引用聖書:新改訳聖書
赦すって、難しい・・・
「なんで赦さなあかんねん!」
「赦す価値なんかない!」
そんな風に思ったこと、私にもある。
そんな時って、どんなに頑張って、どんなにもがいても、
結局、そこから前に進めないんだ。
気がついたら、
いつもそこに戻ってた。
そこで、自分を慰めていた。
「これのせいで、今の私になってしまった・・・」
そうかもしれない。
でも、そこから抜け出すチャンスは、いくらでもある。
目の前に、道がある限り、
前に進んでいけるんだ。
そのために、
「赦す」過程は必要なんだ・・・って。
主は、必ず変えてくださる。
主は、確実に私を変えてくださった。
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